もし、目の前に落ちていたら

美しきものを知り、汚れを知り
まるで人の姿だ。

癒された景色を背に転がるごみを見るとね
たまにそう思うのだけど、

そのごみを拾うも見過ごすも私次第だ。

もし、目の前のごみが自身の汚れとするならば
多くの人は必死で拾うかもしれないよね。

でも、素通りしてしまうのなら、その心はすでに他人事だ。

拾いだしたらキリがない。
だけど、それはたぶん、見過ごしていることの多さと
知らぬ顔をすることの多さを現わしているのかもしれないね。

自身の鏡はあらゆるところにあるものだ。

 

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