私が友達と思う人はいるけれど

何でも話せるとは限らない
状況や、感情は吐き出すことはあっても
本当の奥底に眠る複雑な感覚や思考は語らぬままで

結局は結果報告にジャンプして伝えてしまう。

身近な人から見たら、間違っていると思えるであろうことも
感覚とか、言い訳とか、意味付けとか、いろんなものが絡み合いながらも
進めてきたことに後悔もなく

毎回、いい糧になり、自分と向き合い、
人との関係を考え改めることを与えられてきたように思います。

胸の内の全てを洗いざらしにできるところは限られていると思うけれど
そういった場所が、今では探し出しやすく

まるで、たった一人で苦しみ、あがき続けるような感覚よりは
その場所は、自身が選びたい道に気づくには、グッと近道なことなのだろうと思う。

その時の”感”というのも大切で、
住職のもとへ、セラピストのもとへ、カウンセラーのもとへと
足を向かせた”直感”も捨てたものではなかったと、今だから言えること。

小さな直感から、塞いだ心が眼を覚ます日へと
繋げていかれますように。